座頭市
2004年11月04日
昨日、北野武監督の「座頭市」をDVDで観ました。これまで北野監督というと、画面の中の構図や配色、つまり視覚的な美しさがすばらしいと感じておりました。
しかし、今回は、音の使い方に新境地を開いているという印象を受けました。これは、制作過程で、座頭市の世界に入り込んでいったとき、座頭市が盲目であったことから、自然に音に着目したのではないか、と感じました。この座頭市の世界に入ってゆく思考方法は、最後の方で、カメラが座頭市の視線で使われていることからもうかがわれます。
勝新太郎さんの座頭市があまりにも有名で定着していたため、かなり苦労されたことと思います。
ちなみに、この他人の世界に入ってゆく思考方法は、弁護士も使います。過去の事実は一つですが、依頼者の立場で見たら、事実はどのように見えるのか、相手方の立場で見たら、事実はどのように見えるのか、を検討し、戦略を練ったりします。
トマス・ハリスの「レッド・ドラゴン」のグレアム刑事の捜査手法も、犯人の世界に入り込んで事件を眺めることによってプロファイリングしてゆくものです。
これまでの自分の経験と偏見が邪魔をして、なかなかできることではないのですが、何をするにしても、きわめて有効な手法だと思います。