ガンジーはどう意思を貫いたか? | 弁護士谷原誠の法律解説ブログ 〜日常生活・仕事・経営に関わる難しい法律をわかりやすく解説〜
東京都千代田区麹町2丁目3番麹町プレイス2階 みらい総合法律事務所
弁護士20人以上が所属するみらい総合法律事務所の代表パートナーです。
テレビ出演などもしており、著書は50冊以上あります。
メニュー
みらい総合法律事務所
東京都千代田区麹町2丁目3番麹町プレイス2階
弁護士20人以上が所属するみらい総合法律事務所の代表パートナーです。
テレビ出演などもしており、著書は50冊以上あります。

ガンジーはどう意思を貫いたか?

2015年03月31日

私が尊敬する人物の一人に、マハトマ・ガンジーがいます。

今回は、ガンジーの有名な言葉から始めたいと思います。

「世界に変革を求めるなら、自分自身を変えることだ」

ガンジーはご存知のとおり、インドのイギリスからの独立運動のリーダー。そして、これもよく知られていることですが、独立運動の手段として使ったのは「非暴力・不服従」でした。

イギリス製の大量生産の工業製品を使わず、自国の製品を利用すること、そして、抗議行動を武力によって行わないこと、これがガンジーが貫いた手法でした。

言葉で言うのは簡単ですが、兵士から銃口を向けられても非暴力を貫くということは、宗主国への抵抗運動としてそれまででは考えられない方法です。

ガンジーは度重なる投獄を受けるなど、迫害もありました。
そして、イギリスはもちろんのこと、インド国内からも、その手法に対して反対論が強くありました。

しかしガンジーはその信念は曲げませんでした。そして、次第に国内の支持を集め、非暴力・不服従運動の波は大きくなっていきました。

そのガンジーの姿勢が象徴的に表れているのが、1930年、60歳の時に行った「塩の行進」です。

イギリスの塩の植民地専売、租税制度に反対するため、約一ヶ月をかけて塩が作られる海岸までの350キロを歩く、という行動です。

最初、数十人で出発した行進は、村々を通るたびに拡大しました。最終的に行進に集まった人は数万人に達したと言われています。

イギリスはこの行動に対し、ガンジー自身を含む数千人を投獄しましたが、もはやその流れを止めることはできず、塩の製造を部分的に認める決定をせざるを得なくなりました。

ガンジーに導かれた独立運動は、戦後の1947年、パキスタンとインドの分離独立という形で実現しました。ガンジーは分離に反対し続けたことを原因に暗殺されています。

ガンジーが教えてくれるのは、人を攻撃するのではなく、また相手に合わせてしまうのでもなく、ただ一人であっても自分が信じる道を進むことです。

もちろん、私たちはガンジーになることはできないでしょう。しかし、心に一つ、小さな「ガンジーイズム」を持つことはできるはずです。

自分で正しいと思ったことでも、周囲からの反対を受けることでできないことがあります。

その時、「なんであの人はわからないのだろう」「あの人は、こうするべきだ」と考えがちです。

自分が正しいと信じこみ、自分を差し置いて、相手に変わることを要求するのです。

しかし、自分が変わらずに、相手にだけ変わることを要求しても、相手が「はい。わかりました」と変わることは稀です。

しかし、相手を変える方法はあります。まず、自分と相手の関係を変えることです。

人は人と関わって生きていますので、自分が何かしらの行動をすれば、自分に対する人の対応は変わります。それはもちろん賛意だけではなく、迫害かもしれません。

しかし、とにかく自分と相手の関係に変化を起こすことに成功します。

迫害を受けてもなお行動し続けることによってこそ、周囲の人を変えることができます。ひいては、その行動が社会、国家、世界をも変える可能性があるのです。

最後に、もう一つガンジーの言葉を紹介します。

「見たいと思う世界の変化にあなた自身がなりなさい」
毎週、こんなメルマガを発行しています。

よろしければ、ご登録を。
http://www.mag2.com/m/0000143169.html