犯罪の論理
2006年02月20日
滋賀県の幼稚園児刺殺事件の被疑者34歳女性は、警察の調べに対し、犯行動機について「自分の子どもがほかの子となじめない。なじめないのは周りの子が悪い。このままでは自分の子が駄目になってしまうので殺した」と供述しているそうです。
また、「2人が憎かったわけではない」との趣旨の供述もしているそうです。
普通に考えたら、おかしな論理です。先のことまで考えられていません。
犯罪者はほとんどの場合に自己を正当化する論理を組み立てるものです。しかし、それは、独自の論理であり、一般に通用するものではありません。
フィクションで言えば、ドフトエフスキーの「罪と罰」のラスコーリニコフもそうですが、独自の論理を組み立て、自己正当化をはかります。
結局、論理があって犯罪に至るのではなく、感情で結論が決まり、後で論理を構築しようとするから、そのような結果になるのではないでしょうか。
実は、この自己正当化はあらゆる場合にあてはまるのですが、犯罪の場合には、結論が一般常識からかけ離れるために、そこに到達しなければならない論理の独自性が浮き彫りになるように思います。