十二人の怒れる男
2009年07月08日
陪審員映画「十二人の怒れる男」を久しぶりに観ました。
17歳少年の父親殺しの裁判に選ばれた十二人の男たちが、評決に達するまでのドラマです。
陪審員室だけのやりとりで96分もの映画を作り上げています。
陪審員は、法廷で、ナイフなどの証拠を見て、目撃証言などを聞きます。そして、過去に起こった事実はどうだったのか、真実を見極めようとします。
十二人も人がいると、全く同じ物を見、同じことを聞いても、まるで違う結論になってしまいます。
自分の偏見というメガネを通して物事を理解しようとしているからです。陪審員制度では全員一致の結論が要求されますので、異なる意見の人に対して、偏見という自分のメガネをかけるように要求し、意見を変えるように迫ります。
なぜなら、そのメガネは、自分がもっとも心地よくなるように作られたメガネだからです。全ての物事が、自分に都合よく見えるように調整されたメガネです。自分が心地よいのだから、他人も心地よいはずだ、と思い込み、他人に対しても同じメガネをかけるように要求してしまいます。
しかし、近視や遠視、乱視など、人それぞれ視力が異なるように、偏見も人それぞれです。全ての人が異なる偏見を持っていて、それを認め合い、受け入れた上で、いかにそれをいかに排除し、真実に近づいてゆけるか、それがポイントになってきます。
普段の生活の中でも、自分が偏見というメガネをかけていることを受け入れること、他人は、全て自分とは異なった偏見というメガネをかけていること、を受け入れることが大切だと思います。
そうすれば、普段生じる他人への怒りの少しでも、なくなるのではないでしょうか。
日本でも裁判員制度が始まりました。自分が呼ばれる日のためにも、一度観ておいて損はありません。