記憶すること、しないこと
かつて、私は、メモ等の効用は、覚えることではなく、「忘れる」ことにあると書いたことがあります。
例えば、ある時間に、誰かに電話しなくてはならないといった、ちょっとした用があるとき、それを覚え続けるのは意志がいることです。こういった用事について、ほかの仕事をしている時に頭を占めているのはとても無駄なことです。
つまり、仕事に完全に集中できていないのであり、脳を効率的に使っていない、ということになります。
この用事をメモに書き、目の前においておくと、「これからすべきことはメモに書いてあるから、忘れていても大丈夫」という安心感につながります。メモという外部記憶に情報を投げ込むことで、自分の頭がクリアになり、ほかのあらゆる仕事に対する集中力が高まるのです。
そこで、注意すべきことがあります。
2011年の「science」誌に発表されたある研究では、コンピューターなどに記録があることがわかっているとき、人は記憶する努力をしないようにする傾向にあるそうです。
ですから、なんでもかんでもメモを書いたり、スマホや外部記憶装置に記録して、「記録してあるから大丈夫」という習慣をつけてしまうと、記憶することが望ましいことすら記憶しないという可能性がある、ということです。
それは、知識の減少をもたらします。
知識の減少は、私の場合ですと、仕事に致命的なダメージを生じさせます。
たとえば、世の中のこと、人間のことを知っていないと、相談者の話を聞いても、理解が不足したり、適切な質問ができない可能性があります。
判例や法律論文、書籍を探すにしても、一定の知識がないと、適切な検索キーワードを設定することができません。
AIを使用する場合、最も重要なことの一つは、「適切な質問をすること」です。
しかし、知識がなければ、適切な質問ができず、その結果、望まない回答しか得られない、という可能性があります。
このような観点からすると、全てにおいて「調べればすぐわかる」という感覚を持つことは危険であり、今の社会では、
・記憶すべきこと
・記憶する必要のないこと
を選別し、振り分ける努力が必要になる、と考えています。
そして、記憶すべきことについては、外部記憶装置に記録があろうとなかろうと、「積極的に」記憶しようと「努力」することが望ましい、ということになります。
当たり前のことを書いているようですが、漫然と生活していると、いつの間にか、無意識のうちに、検索やAIに頼り切り、その結果、それらすらも適切に利用できなくなる可能性があるのではないか、と考えています。
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