波平のパラドックス
頭に髪の毛が1本もない人のことを、一般的に「ハゲ」といいます。
では、「サザエさん」の波平は、どうでしょうか。
髪の毛が1本ありますが、やはりハゲでしょう。
では、波平の兄の海平は、どうでしょうか。
髪の毛が1本増えて2本ありますが、やはりハゲでしょう。
では、もう1本足して3人になったらどうか、というのを繰り返していくと、最終的には髪の毛がふさふさになってもハゲになってしまいます。
しかし、そうすると、はじめの「頭に髪の毛が1本もない人のことを、一般的に「ハゲ」という」という前提と矛盾することになってしまいます。
これを、「波平のパラドックス」といいます。(元は、古代ギリシャの哲学者エウブリデスによる「ハゲ頭のパラドックス」です。)
世の中には、このように境界が曖昧な言葉が溢れています。
議論する際に、言葉の定義を明確にせず、「斬新な」「骨太」「古い」「大きな」など、人によって解釈の異なる用語を前提にしていると、議論がちぐはぐになってしまう可能性があります。
たとえば、仏像を造る計画をたてる時、田中さんが、「大きな仏像」を2メートルの仏像と考えて議論し、山本さんが「大きな仏像」を20メートルの仏像と考えて議論していたら、設置する場所、材料、予算など、全く噛み合わないものとなります。
筋トレもしかりです。よくあるのが、「自重トレーニングで筋肉がつくか」という激しい議論です。
ある人は「自重トレで筋肉はつく」と主張し、ある人は「自重トレでは筋肉はつかない」と主張します。
SNSでも活発に議論されます。
しかし、この議論も前提が不明確なため、噛み合いません。
「筋肉がつく」という到達地点が、「細マッチョの筋肉」「体操選手のような筋肉」「ボディビルダーのような筋肉」のどれであるかによって、全く違った議論になるためです。
私たちは、日常的に他人と議論をしていますが、「なんか噛み合わないな」とか「どうしてこの人は理解してくれないのだろう。簡単な議論なのに。」と感じた時は、お互いの議論の前提が異なっていないかどうか、確認するのがよいでしょう。
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