変わらなければならないのは、誰ですか?
今日発信したメルマガを転記します。
ウェストミンスター寺院の地下室には、次のような碑文が刻まれた
英国国教会主教の墓があるそうです。
「何の束縛もない若かかった頃、想像は果てしなく広がって、私は世界
を変えることを夢見ていた。
ところが、年を重ねて賢くなり、世界は変わらないことに気づいた。
そこで、目指すものをもう少し近いものにして、自分の国から始め
ることにした。
しかし、自分の国も変わらなかった。自分の国もだめなら、少なくとも、
最も近くにいる家族を変えることにした。
しかし、悲しいことに、これすら変わらなかった。
今、私は死の床についている。
なんと、今になって初めてわかったのだ。
変えなければいけないのは、自分自身だったのだと。
自分が変われば、家族も変わっただろう。
そして、家族に励まされ支えられることで、国をよくすることもで
きただろうし、やがては世界を変えることすらできたかもしれなか
ったのだ。」
私たちは、自分のことはさておいて、
「あなたは、こうすべきだ」
「あの人は、もう少し気を使うべきだ」
などと、他人を変えようとします。
しかし、私たちは、他人から「こうすべきだ」と言われても、簡単
に自分を変えることなどしません。
他人に求めても、自分の環境は変わりません。
それに、他人に求めるということは、状況をコントロールする権利
を自分から他人に手渡してしまうことを意味します。
他人が変わらない限り、状況は何も変わらないことになってしまう
からです。
状況をコントロールする権利を自分でしっかり握るためには、次の
ような質問をしなければなりません。
「この状況を変えるために、私は何をすべきなのか?」
そうすると、自分が行動すべきことが見つかり、自分を変えること
になります。
自分が変われば、それにつられて周りも変わってきます。
先ほどの碑文にもあるとおり、他人を変えたければ、まず自分が変
わらなければならない、ということだと思います。