放火は殺人より罪が重い!という都市伝説の真相は!?【放火罪】
「火事と喧嘩は江戸の華」という言葉があります。
徳川幕府の江戸時代、江戸の町は木造家屋の密集地域のため火事が起きると延焼しやすく、たびたび大火事になることがありました。
そうした現場での「火消し」たちの活躍が華々しかったことと、江戸っ子は気が早く、派手な喧嘩がよく起きたことから、こう言われたといいます。
「粋(いき)」をよしとする江戸っ子たちの美意識や遊び心が感じられる言葉ですが、実際の火事の現場では華などとはいっていられません。
人命に関わる可能性が高いのですから、地域住民たちの不安や心配は大きいでしょう。
「一晩に不審火20件、埼玉の2市で…同一犯か」(2014年8月29日読売新聞)
28日の夜から29日未明にかけて、埼玉県ふじみ野市と川越市で民家の自転車やゴミなどが焼けるぼやが合計で20件も発生しました。
報道によると、28日午後10時半頃、ふじみ野市の住宅で自転車のかごに入っていたゴミが燃えてから、29日午前0時50分頃までに半径1.2キロ内で15件のぼやが発生。
さらに、同1時5分頃には川越市の民家でゴミが燃えるなど、1時間に市内で5件のぼやがあったということです。
いずれの現場も火の気はなく、住民が消し止め、ケガ人はなかったようですが、埼玉県では近隣の富士見市と三芳町でも16日から17日にかけて、19件の不審火が発生していることから、県警は関連を調べているようです。
歴史上、有名な放火事件といえば、三島由紀夫の小説『金閣寺』のモデルになった「金閣寺放火事件」(1950年)や、井原西鶴の浮世草子『好色五人女』(1686年)の中に収録されている「八百屋お七」の放火事件などがあります。
恋人に会いたい一心で放火事件を起こした八百屋の娘・お七は、捕えられた後、火あぶりの刑に処されます。
諸説さまざまあるようですが、実話を西鶴が脚色したといわれているようです。
ところで、放火罪は殺人罪より刑罰が重いということが都市伝説のようにいわれているようですが、実際、法的にはどうなのでしょうか?
放火罪は、「刑法」では「放火及び失火の罪」といい、第108条(現住建造物等放火罪)から第118条(ガス漏出等致死傷罪)に規定されます。
放火や失火、延焼、未遂、予備、火薬の爆破、ガスの漏出などについて定められる犯罪で、「現住建造物等放火罪」、「非現住建造物等放火罪」、「建造物等以外放火罪」などがあります。
条文を見てみましょう。
「刑法」
第108条(現住建造物等放火罪)
放火して、現に人が住居に使用し又は現に人がいる建造物、汽車、電車、艦船又は鉱坑を焼損した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
この第108条が最も重い量刑で、最高刑は死刑と定められています。
これは現行法上、「殺人罪」(第199条)と同じ法定刑である重罪です。
一般的に、殺人に比べ放火の方が犯人の罪の意識が弱いと思われますが、ではなぜ、殺人と同じ刑なのでしょうか?
それには以下のような理由があります。
〇日本では古来より木造建築の多い生活様式のため、火事が起きやすく延焼しやすく被害が拡大しやすい
〇火事によって、現実に居住している人を死に至らしめる可能性が極めて高い
〇延焼により、不特定多数の生命を危険にさらすおそれがある
火の力は、時として人間が制御できなくなるほど強大な力で多くの人を死に至らしめる可能性の高いものです。
そうした「火」を用いて、たとえ殺人を犯すつもりはなくても放火をすることは、最悪な結果を引き起こす可能性がある悪質性を持っているために殺人と同等の重罪である、ということです。
冒頭の都市伝説の件について解説しておきます。
2004年の刑法改正以前、殺人罪は「死刑又は無期若しくは3年以上の懲役」でした。
一方、放火罪は「死刑又は無期若しくは5年以上の懲役」で、より重い量刑となっていました。
そのため、放火は殺人より罪が重い、という部分が一人歩きした結果、都市伝説のように話が広まったのだと思います。
2004年の刑法改正により、殺人罪と放火罪の法定刑が同じになったので、今では、「放火と殺人は同罪である」という都市伝説になるでしょう。
ニュースを見ていると、たまに「気分がムシャクシャしたので、火をつけた」などと言っている犯人がいますが、それどころでは済まされない重罪です。
この場合、法定刑で言えば、「気分がムシャクシャしたので、人を殺した」と同じだということを肝に銘じておかなければなりません。
人は、火を使いこなすことによって文明が始まりました。
火をつけることによって人生を閉じることのよう気をつけたいものです。